論文解説:「自己鎮静行動と、非侵襲的感覚刺激によって誘発されるオキシトシン分泌」

引用論文

Uvnäs‑Moberg, K., Handlin, L., & Petersson, M. (2015). Self‑soothing behaviors with particular reference to oxytocin release induced by non‑noxious sensory stimulation. Frontiers in Psychology, 5, Article 1529. https://doi.org/10.3389/fpsyg.2014.01529


「自己鎮静行動と、非侵襲的感覚刺激によって誘発されるオキシトシン分泌」

研究の背景と意義

本論文は、ストレスの多い現代社会において「安心」や「心の安定」を取り戻す手段として、非侵襲的な感覚刺激(non-noxious sensory stimulation)が果たす役割、特にその刺激が誘発するオキシトシン(oxytocin)の生理的・心理的効果に焦点を当てた包括的レビューです。

オキシトシンは、長らく「分娩・授乳ホルモン」として知られてきましたが、近年の研究では、情緒の安定、ストレス緩和、社会的絆の形成にも深く関与していることが明らかになっています。この論文では、オキシトシンがどのような感覚刺激で分泌され、どのように自己鎮静(self-soothing)や対人関係の調和に貢献するかを、神経生理学・動物実験・ヒトの研究を統合して解説しています。

感覚刺激によるオキシトシン分泌のメカニズム

筆者らは、身体における感覚刺激のうち、「痛みを伴わない、心地よい刺激」に着目します。たとえば:

  • 赤ちゃんの肌に触れるような優しい撫で
  • 毛づくろい(グルーミング)
  • 温かな布での拭き取り
  • ペットとのふれあい
  • 柔らかなタッチでのマッサージや圧迫

こうした刺激は、有毛皮膚に存在するC触覚(CT)線維と呼ばれる特殊な感覚受容器を介して中枢神経系に伝わり、視床下部にある視索上核(SON)や室傍核(PVN)といったオキシトシンの分泌中枢を活性化します。

この過程は、一般的な交感神経系の興奮(戦う・逃げる反応)とは対照的に、副交感神経系の活性化(休息・回復)を促すルートとして働きます。すなわち、オキシトシンは、身体を守るための興奮系とは別に、「安全で、安心できる状態」を作るためのホルモンとして働いているのです。

自己鎮静(Self-soothing)とはなにか?

自己鎮静とは、「不安・緊張・ストレスなどの情動を、自分自身で落ち着かせる行動や生理的プロセス」を指します。たとえば以下のような例が挙げられます:

  • 緊張したときに腕をさする
  • 両手で顔を覆って深呼吸する
  • 子どもがぬいぐるみを抱きしめる
  • 動物が体をなめる・毛づくろいする

これらは一見無意識の行動に見えますが、皮膚への穏やかな刺激を通じて、オキシトシン分泌を促す“生物学的な安心行動”である可能性があります。著者らは、「自己タッチ」による感覚入力が脳内のオキシトシン系を活性化し、ストレス反応の制御や情動の安定に寄与しているという見解を示しています。

オキシトシンの多面的な作用

本論文では、オキシトシンの多様な作用についても詳細に説明されています。主な生理・心理的効果は以下の通りです:

  • ストレスホルモン(コルチゾール)の抑制
    → 慢性的なストレス反応を抑え、疲労や不安を軽減
  • 副交感神経の活性化
    → 消化促進、心拍数の低下、眠気の促進など“リラックス”を生む身体反応
  • 社会的絆の形成・信頼感の増進
    → 愛着行動、共感、対人信頼、母性行動などに寄与
  • 疼痛の緩和・抗炎症作用
    → 身体的な痛みを和らげ、回復を早める可能性
  • 創傷治癒の促進
    → 身体の再生過程に関与し、組織の回復を助ける

このように、オキシトシンは単なる「愛情ホルモン」ではなく、包括的な「安心・回復・社会的つながり」の生理メディエーターとして機能していることが理解できます。


指圧療法との関連性

「触れること」の医学的意義と指圧

指圧は、筋肉や経穴に対して「持続的な圧」を加えることで、身体機能や自律神経の調整を図る手技療法です。手技において用いられる圧は、基本的に「痛みを伴わない」「心地よく感じる」ことが原則であり、まさに本論文で取り上げられている“非侵襲的感覚刺激”の定義に一致します

皮膚表面を介して深層組織に届くような穏やかな圧は、C触覚線維を適切に刺激し、視床下部のオキシトシン分泌中枢に信号を送り、副交感神経を優位に導く生理反応を促します。

副交感神経の活性化と臨床的反応

指圧中、受け手の呼吸は自然と深くなり、脈拍が緩やかになり、眠気が出ることもしばしば観察されます。これは施術によって副交感神経系が活性化し、心身が「安全」「安心」と感じている証拠といえるでしょう。

本論文が明らかにしたオキシトシンの作用機序は、このような指圧の体験に見られる生理的・心理的変化と深く符合しています。

指圧と社会的つながり

もう一つ重要な点は、触れ合いを通じて人と人とのつながりが生まれるということです。オキシトシンは、人間関係において“信頼”や“共感”を生む基盤であり、セラピストとクライアントの間に生まれる信頼感もまた、施術の効果を高める重要な要素です。

つまり、指圧とは単なる身体的治療ではなく、「人に触れてもらう」ことによる心のケア、社会的安心の提供でもあり、その根底にはオキシトシンという神経伝達物質の関与があると考えられるのです。


結論

Uvnäs-Mobergらの論文は、「優しく、痛みのない皮膚刺激」がオキシトシンを分泌させ、情緒の安定、ストレス緩和、社会的つながりの形成を生み出すことを詳細に述べています。

このメカニズムは、日本の伝統的な手技療法である指圧がもたらす効果とも一致します。指圧の施術は、単なる筋緊張の緩和にとどまらず、感覚神経を通じたオキシトシン分泌を介して、全身のリラクゼーションと心の安定を支える科学的基盤を持っているといえるでしょう。

指圧師が「癒しの力」を提供するとは、単に身体を押す技術ではなく、「触れることによって心を癒す神経生理学的なアプローチ」でもあるのです。

引用論文

Uvnäs‑Moberg, K., Handlin, L., & Petersson, M. (2015). Self‑soothing behaviors with particular reference to oxytocin release induced by non‑noxious sensory stimulation. Frontiers in Psychology, 5, Article 1529. https://doi.org/10.3389/fpsyg.2014.01529