論文解説:「触れるという行為の奥にあるもの – Below the surface of a touch」

引用論文

Preston, S. D., & Muñoz, R. (2023). Below the surface of a touch. eLife, 12, e88215. https://doi.org/10.7554/eLife.88215

「触れる」という行為の奥深さ

はじめに:触覚という「社会的インターフェース」

この論文は、私たちが普段何気なく行っている「触れる」という行為が、単なる皮膚への物理的刺激を超えて、他者との関係性、情動、社会的つながりに大きな意味を持つことを科学的に解説するエディトリアルです。

著者らは、触覚が単に「外界の情報を取り入れる」ための感覚ではなく、むしろ人間の社会的機能と密接に結びついた「感情的な情報伝達手段」であることを強調します。

たとえば、誰かに優しく撫でられた時の心地よさや安心感は、力の強さやスピードだけで決まるのではなく、「誰に触れられているか」という社会的な要因にも大きく左右されるというのです。まさに「触れられることの意味」は、皮膚よりも深く、神経系やホルモン系にまで波及する現象なのです。

感覚入力としての「触覚」とその多層的な処理

皮膚は、外界との最前線にある感覚器官です。さまざまな機械受容器(Merkel細胞、Meissner小体、Ruffini終末、Pacinian小体など)を通じて、圧力や振動、温度、痛みといった情報を受け取り、脊髄を介して脳に伝えます。

しかし、近年の研究では、こうした「早い触覚(discriminative touch)」とは別に、「ゆっくりで感情的な触覚(affective touch)」の経路が存在することが明らかになってきました。

この感情的な触覚は、CT(C-tactile)線維という無髄の遅い求心性線維によって伝達され、脳の島皮質(insula)という、感情や自己意識を司る領域に直接つながっています。つまり、「ゆっくりと優しくなでる」というタッチは、皮膚感覚を超えて、感情的な安心感や絆を脳内で生み出す回路を介して処理されているのです。

オキシトシンと触覚の神経内分泌的つながり

この論文では特に、触覚刺激とオキシトシンの関係がクローズアップされています。オキシトシンは、出産や授乳の際に分泌されるホルモンとして有名ですが、現在では「社会的絆」「信頼」「愛着」「ストレス緩和」などのキーワードと結びついた「絆ホルモン」「愛情ホルモン」として知られています。

優しい撫でやハグ、手をつなぐ行為などにより、オキシトシンが分泌されると:

  • 副交感神経優位に切り替わり、心拍数が落ち着く
  • コルチゾール(ストレスホルモン)の低下が促される
  • 社会的接近行動(prosocial behavior)が増加する

といった、心理的・生理的な安定効果が期待されます。

論文では、「触れられることによって誘発される脳の反応は、単に物理的な接触だけでは説明がつかない」とし、「触れられる相手との社会的関係性」が鍵を握ることを、数々の神経画像研究やホルモン研究の結果から裏付けています。

「誰に触れられるか」がもたらす生理反応の違い

たとえば、ある研究では、パートナーに触れられたとき知らない他人に触れられたときの脳活動を比較しています。結果は非常に興味深く、以下のような違いが示されました:

  • パートナーからのタッチ → オキシトシンレベルの上昇、ストレス指標の低下、島皮質や前頭前野の活動が活性化
  • 他人からのタッチ → オキシトシンの上昇は限定的、むしろ不快や警戒反応を示す脳活動が観察される

このように、「同じ物理的な刺激」でも、その意味づけ(context)によって、脳と身体の反応はまったく異なるのです。

また、これは自閉スペクトラム症や愛着障害をもつ人々が、触れられることに過敏である理由にもつながります。触覚への反応が「文脈」に強く依存しているため、信頼関係のない相手からの触覚は、むしろストレスになりうるのです。

子どもから高齢者まで:触れ合いの恩恵

この論文の示唆は、子どもの発達支援から高齢者のケア、パートナー関係、臨床現場におけるタッチケアまで、あらゆるライフステージに適用可能です。

  • 乳児:親からの優しい抱っこやスキンシップがオキシトシンを介して愛着形成を促し、ストレス耐性を高める
  • 成人:恋人・パートナーとのスキンシップが信頼感や心の安定を高め、うつや不安のリスクを下げる
  • 高齢者:孫や介護者からの触れ合いが情緒の安定や認知機能の維持に寄与する

つまり、「触れること」は単なる表面的な関わりではなく、脳と心を癒し、社会的に生きる人間としての土台を強める営みなのです。

指圧療法への応用と新たな視点

この研究を踏まえ、指圧療法との関連を見てみましょう。

1. 「触れる」という意味の再定義

指圧療法における「圧」は、単に筋肉やツボに対する刺激ではありません。施術者と受け手の間にある「信頼関係」や「安心感」が成立しているとき、指圧の持つ触覚刺激はオキシトシンを誘発し、自律神経系や免疫系に広く影響を与える可能性があります。

2. 施術者の存在が「癒し」を生む

この論文が繰り返し指摘するように、「誰に触れられるか」は生理反応を大きく変えます。これは、熟練した指圧師が「安心できる存在」として認識されている場合、施術そのものが脳内で“安全で快適な経験”として処理され、オキシトシンの分泌や副交感神経の活性化が最大化することを意味します。

3. 科学的根拠に基づいた臨床指導へ

この論文が示した「社会的文脈と触覚の結びつき」は、今後、指圧療法の指導や臨床研究において重要な視点となります。

とくに、

  • 施術前後のオキシトシン測定
  • CT線維に最適な圧力やスピードの研究
  • 施術者との関係性が生理反応に与える影響

など、より深く指圧の「癒し」の科学的根拠を明らかにすることが可能となるでしょう。

結論:触れる力は、心を整える力

この論文が明確に示したのは、「触れる」という行為が、実は神経科学的にも非常に高度な社会的・情動的プロセスであるという事実です。そして、それは人間の健康・幸福・社会的つながりに不可欠なものであるということです。

指圧療法という、まさに「触れること」を本質とする技術は、この知見と極めて親和性が高く、今後、オキシトシン研究やタッチケア研究と融合することで、より深い「癒し」と「科学的正当性」を備えた治療法として確立していく可能性を秘めています。