足の太陰脾経の経穴に関する包括的な臨床的・科学的考察

序論

東洋医学における脾の枢要な役割:「後天の本」と「気血生化の源」

東洋医学の臓腑理論において、「脾」は単なる解剖学的臓器である脾臓を指すのではなく、生命維持活動の根幹を担う極めて重要な機能的システムとして定義される。古典『黄帝内経』において「後天の本」および「気血生化の源」と称されるように、脾は飲食物を消化吸収し、生命エネルギーの根源である「気」と身体を滋養する「血」を生成する中心的な役割を担っている 。この機能は、現代医学における消化器系の消化・吸収機能、代謝系のエネルギー転換機能、そして免疫系の防御機能を統合した、より広範な概念として捉えることができる。   

脾の機能が健全であれば、栄養は効率的に全身に供給され、肌肉は豊かになり、四肢は力強く、思考は明晰で、身体は外部の病邪に対する抵抗力を維持する。しかし、ひとたび脾の機能が失調すると、その影響は全身に及ぶ。食欲不振、消化不良、腹部膨満感、下痢といった直接的な消化器症状に留まらず、栄養吸収の低下による全身の倦怠感や無気力、水分代謝の障害による浮腫、血液を脈中に留める力の低下による慢性的出血傾向(不正性器出血や皮下出血など)、さらには内臓を定位置に保持する力の減弱による内臓下垂など、極めて広範な病態の根源となり得る 。したがって、足の太陰脾経の治療は、多くの慢性疾患や不定愁訴の根本治療において不可欠な要素となる。   

古典の叡智と科学的エビデンスの統合という現代的要請

このページの目的は、この脾経の重要性を深く掘り下げ、その経穴(ツボ)の効能と作用機序を、古典医学の深遠な知見と現代科学の客観的エビデンスの両側面から包括的に解明することにある。『鍼灸甲乙経』や『鍼灸大成』といった古典籍に記された理論体系は、数千年にわたる臨床経験の集積であり、その価値は計り知れない 。しかし、その作用機序を現代的な言語、特に神経科学、免疫学、内分泌学、そして近年注目されるマイクロバイオーム科学(腸内細菌叢研究)の知見を用いて説明し、治療効果を客観的に検証することで、鍼灸医学はその学術的地位を確立し、さらなる発展を遂げることができる。   

近年、ランダム化比較試験(RCT)、機能的磁気共鳴画像法(fMRI)、そして腸内細菌叢の16S rRNAシーケンシング解析などの技術を駆使した研究が飛躍的に進展している。これにより、特定の経穴刺激が中枢神経系、自律神経系、免疫系、そして腸内環境に及ぼす具体的な影響が徐々に明らかになりつつある 。本報告書では、これら最先端の科学的研究成果を、古典医学の理論的枠組みの中に位置づけることで、両者の間に橋を架けることを試みる。この統合的アプローチは、臨床における治療効果の向上、患者への説明責任の遂行、そして鍼灸医学が現代医療の中で果たすべき役割を明確にする上で不可欠であると確信する。   

第一部 足の太陰脾経の基礎理論

1.1 経脈の流注(足の太陰脾経の走行)

脾経の流注、すなわち気血が流れる経路を理解することは、その生理機能と病理、そして各経穴の治療作用を把握するための第一歩である。その経路は、単なる解剖学的な線ではなく、機能的な関連性を示す地図そのものである。WHO/WPROの標準経穴部位に基づき、古典の記述を統合すると、その流注は以下の通りである 。  

外経路

足の太陰脾経は、足の第1趾(母趾)内側端にあるSP1(隠白)に起こる。そこから足の内側縁(赤白肉際)を上り、内果(うちくるぶし)の前方にあるSP5(商丘)を通過する。さらに下腿内側、脛骨の後縁を上行し、膝関節の内側下方にあるSP9(陰陵泉)に至る。大腿前内側をさらに上り、鼠径部から腹部に入り、側胸部を上行して第6肋間、腋窩中央線上にあるSP21(大包)に終わる 。   

内経路

脾経の真価は、その広範な内経路にある。腹部に入った経脈は、本経が属する「脾」に到達し、表裏関係にある「胃」を絡う 。さらに、脾から分かれた支脈は横隔膜を貫いて上行し、食道の両側を通り、舌根に散布して舌下に広がる。また、胃から分かれたもう一つの支脈は、横隔膜を貫いて胸中の「心」に注ぎ、手の少陰心経へと気血を連絡させる 。   

この流注経路は、脾経の機能的マップとして解釈できる。脾経の内経路が「舌根に散布する」という記述は、脾の機能が「口に開竅し、その華は唇にある」という古典理論の解剖学的根拠となる 。これは、食欲、味覚、唾液の分泌といった機能が、脾経の気血によって制御されていることを示唆している。現代医学の観点から見ると、この経路は、脳と消化器系を双方向的に結ぶ「脳腸相関(Gut-Brain Axis)」、特に迷走神経の機能的ネットワークと著しく重複する。古典に記された流注が、単なる線の走行ではなく、高度な機能的ネットワークを示していた可能性は極めて高い。この解釈は、脾経への刺激が消化器症状のみならず、食欲や精神状態にまで影響を及ぼすことの理論的根拠を提供する。   

1.2 脾の生理と病理

脾経の臨床的意義を理解するためには、中医学における「脾」の生理機能と、それが失調した際の病理を深く把握する必要がある。

運化を主る (主運化)

これは脾の最も中心的な機能であり、飲食物を消化吸収し、生命活動の基本物質である気・血・津液(これらを総称して「水穀の精微」という)に転化させ、全身に輸送する働きを指す 。この機能は二つの側面に分けられる。   

  • 水穀の運化: 飲食物の消化・吸収機能そのものを指す。脾のこの機能が失調すると「脾気虚」という病態が生じ、食欲不振、食後の腹部膨満感、便が緩くなる(便溏)、全身の倦怠感などを引き起こす 。   
  • 水湿の運化: 体内の水分代謝を調節し、余分な水分(湿邪)が停滞しないようにする機能。この機能が低下すると、体内に「湿」や「痰」といった病理産物が蓄積し、浮腫(むくみ)、体の重だるさ、粘稠な分泌物(帯下など)の原因となる 。このため、脾は「生痰の源」とも呼ばれる。   

統血を主る (主統血)

脾気には、血液が脈管の外に漏れ出ないように統制し、固摂する機能がある 。この機能は、現代医学における血管壁の透過性維持や血液凝固系の正常な働きと関連が深いと考えられる。脾気が虚してこの機能が失われると「脾不統血」という病態になり、不正性器出血、皮下出血(あざ)、血便、血尿といった慢性的な出血傾向が見られるようになる 。   

昇清を主る (主昇清)

運化によって生成された清陽の気、すなわち栄養価の高い水穀の精微を、頭部や顔面部、上焦(心・肺)へと上昇させる機能である 。これにより、精神活動が明晰に保たれ、心肺が気血を全身に巡らせるための原動力が供給される。また、内臓を定位置に保持する「昇挙作用」もこの機能に含まれる。この昇清機能が失調すると「中気下陥」という病態になり、清陽の気が頭部に昇らないことによるめまいや立ちくらみ、あるいは内臓の保持機能の低下による胃下垂や脱肛、子宮脱などの症状が生じる 。   

身体各部との関連

  • 肌肉・四肢を主る: 全身の筋肉(肌肉)や手足(四肢)は、脾が運化する水穀の精微によって栄養され、そのボリュームと機能が維持される 。脾虚では筋肉が痩せ、四肢に力が入らなくなる。   
  • 口に開竅し、その華は唇にある: 食欲や味覚は脾の運化機能と密接に関連し、その状態は口に現れる(開竅する)。脾が健やかであれば食欲は旺盛で味覚も正常である。また、脾の気血の充足度は唇の色沢(華)として反映される 。   
  • 涎(よだれ)を主る: 唾液のうち、比較的粘稠度の低いものを「涎」といい、これは脾の津液とされる。脾の機能異常により、涎が過剰に分泌されたり、逆に口が乾いたりする 。   

1.3 臨床診断における主要な病理パターン(脾の弁証論治)

臨床において脾経の経穴を効果的に用いるためには、その背景にある病理パターンを正確に弁別する必要がある。主要なパターンは以下の通りである。

  • 脾気虚証 (Spleen Qi Deficiency): 脾の機能低下の最も基本的な病態。食欲不振、食後の腹部膨満感、泥状便または軟便、気力低下、全身倦怠感が主症状。多くの脾の病態の前駆段階となる 。アレルギー性鼻炎 や慢性疲労 といった現代疾患の背景病理として非常に頻繁に見られる。   
  • 脾陽虚証 (Spleen Yang Deficiency): 脾気虚の症状に「寒」の症状が加わったもの。腹部の冷痛(温めると軽快する)、手足の冷え、水様性の下痢などが特徴 。   
  • 中気下陥証 (Middle Qi Sinking): 脾の昇清機能が著しく低下した病態。脾気虚の症状に加え、持続性の下痢、脱肛、胃下垂や子宮脱などの内臓下垂、めまい、立ちくらみが見られる 。   
  • 脾不統血証 (Spleen Failing to Control Blood): 脾の統血機能が失われた病態。脾気虚の症状に加え、月経過多、不正性器出血、皮下出血、血便、血尿など、各種の慢性的な出血傾向が見られる 。   
  • 寒湿困脾証 (Cold-Dampness Encumbering the Spleen): 外来の湿邪や、生もの・冷たいものの過食によって脾の運化機能が「湿」によって阻害された実証。体の重だるさ、腹部膨満感、吐き気、食欲不振、口の粘り、白く厚い舌苔などが特徴 。   
  • 脾胃湿熱証 (Damp-Heat in the Spleen and Stomach): 脂っこいものや甘いもの、アルコールの過飲により「湿」と「熱」が中焦に鬱滞した実証。腹部膨満感、口の苦みや粘り、便の悪臭、黄色く粘膩な舌苔などが特徴 。   

これらの弁証を通じて、各経穴の特性に基づいた的確な選穴と補瀉手技を施すことが、脾経治療の鍵となる。

第二部 足の太陰脾経の経穴に関する包括的分析

脾経に属する21の経穴は、それぞれが独自の特性と治療効果を持つ。以下の表は、臨床における迅速な参照を目的として、各経穴の要点をまとめたものである。続く各論では、一つ一つの経穴について、古典的根拠から最新の科学的知見までを詳述する。

表1: 足の太陰脾経の経穴(SP1-SP21)概要

WHOコード経穴名 (Pinyin / 日本語)要穴分類WHO標準取穴部位 (要約)古典的要約 (主治)現代的研究に基づく主な応用
SP1Yǐnbái / 隠白井木穴足の第1趾、爪甲根部内側角の近位0.1寸   崩漏(不正出血)、血便、精神疾患、夢驚   機能性子宮出血、血小板減少性紫斑病、精神安定   
SP2Dàdū / 大都滎火穴足の第1中足指節関節の遠位内側、陥凹部   熱病、腹部膨満、胃痛、下痢   消化器系の熱証、痛風、糖尿病関連症状
SP3Tàibái / 太白兪土穴、原穴足の第1中足指節関節の近位内側、陥凹部   脾虚による倦怠感、腹張、下痢、体重節痛   機能性ディスペプシア、慢性疲労、消化不良   
SP4Gōngsūn / 公孫絡穴、八脈交会穴足の第1中足骨底の内側前縁、陥凹部   胃痛、嘔吐、腹痛、下痢、胸部の痛み   機能性ディスペプシア、IBS、不安障害、月経痛   
SP5Shāngqiū / 商丘経金穴内果の前下方の陥凹部   足関節痛、腹部膨満、下痢、便秘、黄疸   足関節捻挫、消化不良、精神疲労、不安   
SP6Sānyīnjiāo / 三陰交内果の上3寸、脛骨内側縁の骨際   婦人科・泌尿生殖器・消化器疾患全般   月経困難症、PMS、不妊症、下部尿路症状   
SP7Lòugǔ / 漏谷内果の上6寸、脛骨内側縁の骨際   腹部膨満、下痢、下肢の無力感・麻痺   下肢の知覚・運動障害、消化不良
SP8Dìjī / 地機郄穴陰陵泉の下3寸、脛骨内側縁の骨際   月経不順、月経痛、下痢、腰痛、小便不利   急性の月経痛、消化器系の痙攣性疼痛   
SP9Yīnlíngquán / 陰陵泉合水穴脛骨内側顆の下縁、脛骨内側縁との間の陥凹部   腹部膨満、水腫、黄疸、下痢、膝痛   浮腫、下痢、腹水、変形性膝関節症   
SP10Xuèhǎi / 血海膝蓋骨内側上角の上2寸、内側広筋隆起部   月経不順、崩漏、湿疹、蕁麻疹   慢性蕁麻疹、アトピー性皮膚炎、月経不順   
SP11Jīmén / 箕門大腿内側、血海と衝門を結ぶ線上、縫工筋と薄筋の間   鼠径部リンパ節腫脹、排尿困難、遺尿   鼠径部痛、泌尿器系疾患
SP12Chōngmén / 衝門鼠径部、曲骨の外3.5寸、大腿動脈拍動部   腹痛、疝気、妊娠中の異常   鼠径ヘルニア、下腹部痛
SP13Fǔshè / 府舎下腹部、衝門の上0.7寸、前正中線の外4寸   腹痛、疝気、痞塊(腹部のしこり)   下腹部痛、ヘルニア様症状
SP14Fùjié / 腹結下腹部、大横の下1.3寸、前正中線の外4寸   腹痛、下痢、便秘、疝気   消化管運動異常、便秘、下痢
SP15Dàhéng / 大横腹部、臍中央の外4寸   下痢、便秘、腹痛   便秘、腹部膨満、術後イレウス   
SP16Fùāi / 腹哀上腹部、臍の上3寸、前正中線の外4寸   消化不良、腹痛、便秘、下痢   消化不良、上腹部痛
SP17Shídòu / 食竇前胸部、第5肋間、前正中線の外6寸   胸脇部の張り、疼痛、しゃっくり   肋間神経痛、胸膜炎後の疼痛
SP18Tiānxī / 天谿前胸部、第4肋間、前正中線の外6寸   胸痛、咳、乳汁分泌不全   肋間神経痛、乳腺炎
SP19Xiōngxiāng / 胸郷前胸部、第3肋間、前正中線の外6寸   胸痛、咳   肋間神経痛
SP20Zhōuróng / 周栄前胸部、第2肋間、前正中線の外6寸   咳、胸脇部の張り、飲食の不下   肋間神経痛、呼吸器症状
SP21Dàbāo / 大包脾の大絡側胸部、腋窩中央線上、第6肋間   全身の疼痛、四肢の無力感、胸脇痛   線維筋痛症、慢性疲労症候群

各経穴の詳細分析

2.1 SP1 Yǐnbái (隠白) – Hidden White

  • 取穴部位: 足の第1趾、末節骨の内側、爪甲根部内側角の近位0.1寸に取る 。   
  • 古典的基礎 (井木穴): SP1 隠白は、脾経の起始点である井穴(せいけつ)であり、五行では「木」に属する。井穴は経気の湧き出る源であり、「心下満(心窩部のつかえ)」を治し、意識を回復させる作用を持つとされる。特に、脾の「統血」機能を回復させる要穴として、古典籍では一貫して崩漏(不正性器出血)や血便、鼻血などの各種出血性疾患に多用されることが強調されている 。その名称「隠白」は、足指の赤白肉際の隠れた部位にあることに由来する 。   
  • 現代科学的エビデンスと作用機序: 臨床的には、機能性子宮出血や血小板減少性紫斑病などへの応用が報告されている。井穴は末梢神経終末が非常に豊富に分布する部位であり、隠白への刺激、特に刺絡(少量の瀉血)は、強力な求心性信号を脊髄および脳へ送る。この体性-自律神経反射を介して、視床下部-下垂体系に作用し、ホルモンバランスや血液凝固系を調節することで、止血作用を発揮すると考えられている 。   
  • 臨床応用と配穴: 脾不統血による不正出血に対する第一選択穴。肝経の井穴であるLR1(大敦)と組み合わせて用いることで、肝の蔵血と脾の統血を同時に調整し、止血効果を高める。また、井穴として経脈全体の気滞を解消する力を持つため、精神的な要因が関与する消化器症状(過食症など)や不眠、夢驚にも応用される 。   

2.2 SP2 Dàdū (大都) – Great Metropolis

  • 取穴部位: 足の第1趾、第1中足趾節関節の遠位内側の陥凹部、赤白肉際に取る 。   
  • 古典的基礎 (滎火穴): SP2 大都は、脾経の滎穴(えいけつ)であり、五行では「火」に属する。「滎は身熱を主る」という原則の通り、滎穴、特に火穴である大都は、経脈中の熱を清する作用を持つ。古典的には、熱病、胃痛、腹部膨満など、脾胃の熱証に起因する症状に用いられる 。   
  • 現代科学的エビデンスと作用機序: 大都に特化した研究は限定的だが、脾胃の熱を清する作用から、急性胃腸炎や、湿熱が関与する痛風発作時の疼痛緩和などに応用される。
  • 臨床応用と配穴: 脾胃に熱がこもったことによる胃痛や腹部膨満感に対し、胃経の滎穴であるST44(内庭)と組み合わせて清熱作用を強化する。

2.3 SP3 Tàibái (太白) – Supreme White

  • 取穴部位: 足の内側、第1中足趾節関節の近位の陥凹部、赤白肉際に取る 。   
  • 古典的基礎 (兪土穴、原穴): SP3 太白は、脾経の兪土穴(ゆどけつ)であると同時に、臓腑の原気が集まる原穴でもある。原穴であるため、脾臓そのものの虚実を診断・治療する上で極めて重要である。また、脾経(土)に属する土穴であるため、脾の健運作用を直接的に補強する力が強い。『鍼灸大成』には「脾虚は人をして楽しまず、身寒く善く太息し、心悲しみ、…体重節痛、怠惰にして臥するを嗜む」とあり、脾虚に起因する全身倦怠感、意欲低下、身体の重だるさ、関節痛といった多彩な症状に対する主治が明記されている 。   
  • 現代科学的エビデンスと作用機序: 臨床研究では、機能性ディスペプシア(FD)や慢性疲労症候群(CFS)の治療プロトコルに頻繁に含まれ、その有効性が示唆されている 。作用機序として、太白への刺激は、迷走神経を介して胃の運動性や胃酸分泌を調節し、脳腸相関に影響を与えることで、消化器症状とそれに伴う倦怠感を改善すると考えられる。   
  • 臨床応用と配穴: 脾気虚による全身倦怠感、食欲不振、消化不良、泥状便に対する第一選択穴。胃の募穴であるCV12(中脘)や、後天の気を補う代表穴であるST36(足三里)と組み合わせることで、脾胃の機能を総合的に高める「補中益気」の作用を発揮する。

2.4 SP4 Gōngsūn (公孫) – Grandfather’s Grandson

  • 取穴部位: 足の内側、第1中足骨底の前下縁、赤白肉際に取る 。   
  • 古典的基礎 (絡穴、八脈交会穴): SP4 公孫は、脾経の絡穴(らくけつ)であり、ここから表裏関係にある胃経へと連絡する支脈が分岐する。さらに、奇経八脈の一つで、気血を統括し婦人科疾患と密接に関わる「衝脈(しょうみゃく)」に通じる八脈交会穴でもある。この二重の特性により、公孫は脾胃の疾患(胃痛、嘔吐、腹痛)と、衝脈が関わる婦人科疾患や心胸部の症状を同時に治療できる極めて重要な経穴である 。   
  • 現代科学的エビデンスと作用機序: 複数のRCTやメタアナリシスにおいて、機能性ディスペプシア(FD)や過敏性腸症候群(IBS)における心窩部痛、腹痛、腹部膨満感の緩和に有効であることが示されている 。また、これらの消化器疾患にしばしば併発する不安や抑うつといった精神症状の改善にも寄与することが報告されている 。   
  • 臨床応用と配穴: 公孫の臨床的価値は、心包経の絡穴であるPC6(内関)との組み合わせで最大化される。この「公孫-内関」の配穴は、胃痛、嘔吐、胸やけといった消化器症状と、動悸、不安、不眠といった精神・循環器症状が同時に見られる病態、すなわち現代でいう「脳腸相関」の失調に起因する疾患群に対して著効を示す。公孫が絡穴として胃経に、八脈交会穴として腹部を巡る衝脈に影響を与えることで「腸」からアプローチし、内関が心包経として「心(精神活動)」と胸中の気機を整えることで「脳」からアプローチする。この古典的な配穴理論は、迷走神経や辺縁系-前頭前野ネットワークを介して、消化管の運動・知覚と情動の両方を双方向的に調節する、極めて洗練されたニューロモジュレーション治療であると解釈できる 。   

2.5 SP5 Shāngqiū (商丘) – Shang Hill

  • 取穴部位: 足の内側、内果の前下方の陥凹部、舟状骨粗面と内果尖の中間に取る 。   
  • 古典的基礎 (経金穴): SP5 商丘は、脾経の経穴(けいけつ)であり、五行では「金」に属する。「経は喘咳寒熱を主る」という原則に加え、五行の相生関係(土生金)に基づき、母である脾(土)の虚を補うことで、子である肺(金)の病を治す「虚すれば其の母を補う」という治療原則に応用される。古典的には、局所である足関節痛のほか、腹部膨満、下痢、便秘、黄疸などに用いられる 。   
  • 現代科学的エビデンスと作用機序: 急性の足関節捻挫における局所治療点として有効。また、その鎮静作用から、精神疲労や不安、吃音などに応用されることもある 。   
  • 臨床応用と配穴: 足関節捻挫の急性期に、局所の腫脹と疼痛を緩和する目的で用いる。脾虚を背景とした慢性的な咳や喘息に対し、肺の募穴であるLU1(中府)や兪穴であるBL13(肺兪)と組み合わせて、脾土を補い肺金を生じさせる。

2.6 SP6 Sānyīnjiāo (三陰交) – Three Yin Intersection

  • 取穴部位: 下腿内側、内果尖の直上3寸、脛骨内側縁の骨際に取る 。   
  • 古典的基礎: 足の三つの陰経、すなわち足の太陰脾経、足の厥陰肝経、足の少陰腎経が交会する極めて重要な経穴。この特性から、三陰交は脾・肝・腎の三臓の機能を同時に調節する力を持ち、その主治範囲は非常に広い。『鍼灸甲乙経』や『鍼灸大成』では、一貫して月経不順、月経痛、不妊、帯下といった婦人科疾患、遺精やインポテンツなどの泌尿生殖器疾患、そして消化器症状、不眠、下肢の痺れなど、三臓が関わる多様な疾患に対する要穴として記載されている 。   
  • 現代科学的エビデンスと作用機序:
    • 婦人科疾患: 多数のシステマティックレビューとメタアナリシスにより、原発性月経困難症の疼痛緩和に対する有効性が確立されている 。その作用機序として、子宮動脈の血流抵抗を減少させて子宮筋の過度な収縮を緩和すること、血中のプロスタグランジンやバソプレシンの濃度を調節して痛みの原因物質を抑制すること、そしてβ-エンドルフィンの放出を介した内因性鎮痛システムの活性化が考えられる 。   
    • 脳機能への影響 (fMRI): 三陰交への鍼刺激が脳機能に与える影響はfMRI研究によって可視化されている。月経前症候群(PMS)患者において、三陰交への刺激は、情動や自己認識に関わる楔前部(precuneus)、内受容感覚(身体内部の状態認識)の中枢である島皮質(insula)、そして感覚情報の中継点である視床(thalamus)の活動を特異的に調節することが示されている 。これは、三陰交が単に末梢の痛みを抑えるだけでなく、中枢神経系における疼痛の認知・情動処理ネットワークそのものを再編成することを示唆する重要な知見である 。   
    • 泌尿器・消化器系: 下部尿路症状(頻尿、尿意切迫感など)や、機能性消化管障害の治療プロトコルにも頻用される 。   
  • 臨床応用と配穴: 婦人科疾患の要穴であり、「婦人の三里」とも称される。月経痛には気血を巡らせるLI4(合谷)と、消化器症状には胃腸を整えるST36(足三里)と組み合わせる。肝気鬱結が強い場合はLR3(太衝)を、腎虚が顕著な場合はKI3(太谿)を配穴し、交会する経絡の特性を最大限に活かす。なお、子宮収縮を促す作用があるため、妊娠中は禁忌とされる 。   

2.7 SP7 Lòugǔ (漏谷) – Leaking Valley

  • 取穴部位: 下腿内側、内果尖の直上6寸、脛骨内側縁の骨際に取る 。   
  • 古典的基礎: 古典的には、腹部膨満、腸鳴、下痢、下肢の無力感や麻痺などに用いられる 。   
  • 臨床応用: 主に下腿内側の知覚・運動障害に対する局所治療点として用いられる。

2.8 SP8 Dìjī (地機) – Earth’s Crux

  • 取穴部位: 下腿内側、陰陵泉(SP9)の直下3寸、脛骨内側縁の骨際に取る 。   
  • 古典的基礎 (郄穴): SP8 地機は、脾経の郄穴(げきけつ)である。郄穴は、各経脈の気血が深く集まる部位とされ、急性期の疼痛性疾患に卓効があるとされる。その特性を反映し、急性の月経痛、下痢による腹痛、消化器系の痙攣性疼痛などに用いられる 。   
  • 臨床応用: 特に血瘀(血液循環の滞り)による激しい月経痛(刺すような痛み、凝血塊を伴う)に対して、血を巡らせるSP10(血海)やLI4(合谷)と組み合わせて用いることで、高い鎮痛効果が期待できる。

2.9 SP9 Yīnlíngquán (陰陵泉) – Yin Mound Spring

  • 取穴部位: 下腿内側、脛骨内側顆の下縁と脛骨内側縁との間の陥凹部に取る 。   
  • 古典的基礎 (合水穴): SP9 陰陵泉は、脾経の合穴(ごうけつ)であり、五行では「水」に属する。「合は逆気して泄するを主る」とされ、臓腑の病に用いられる。脾(土)経の水穴として、脾の「湿邪を除く(利湿・化湿)」作用を最も強力に発揮する要穴である 。古典的には、水腫(むくみ)、黄疸、腹部膨満、下痢、小便不利といった、体内の水分代謝異常(湿邪)に起因するあらゆる症状、および局所の膝痛に主治があるとされる 。   
  • 現代科学的エビデンスと作用機序: 臨床研究において、心不全や腎疾患、肝硬変などに伴う浮腫や腹水、あるいは過敏性腸症候群(IBS)の下痢型や急性膵炎に伴う腹部膨満感や腹痛の緩和に有効であることが示されている 。その作用機序として、陰陵泉への刺激は、体性-自律神経反射を介して腎臓の機能を調節し利尿を促進する、あるいは腸管の水分分泌・吸収バランスを正常化させることが考えられる。また、迷走神経を介した抗炎症経路(Cholinergic Anti-inflammatory Pathway)を活性化し、腸管の炎症を抑制する可能性も指摘されている 。   
  • 臨床応用と配穴: 体内の過剰な「湿」に関連するあらゆる症状に対する第一選択穴。浮腫や小便不利には、水分代謝を司る肺・脾・腎の機能を総合的に高めるため、肺の募穴LU1(中府)や腎の兪穴BL23(腎兪)と組み合わせる。下痢や腹部膨満には、大腸の募穴であるST25(天枢)と配穴する。変形性膝関節症の内側痛に対しては、膝周囲の阿是穴(圧痛点)と共に用いる。

2.10 SP10 Xuèhǎi (血海) – Sea of Blood

  • 取穴部位: 大腿前内側、膝を屈曲した状態で、膝蓋骨底の内側端の直上2寸、内側広筋が最も隆起した部位に取る 。   
  • 古典的基礎: その名の通り「血」の病を治す要穴であり、気血が海のように集まる場所とされる。『鍼灸大成』などでは、月経不順、不正出血、月経痛などの婦人科系の血病、そして血の異常が関与するとされる湿疹や蕁麻疹などの皮膚疾患に用いられることが記されている 。   
  • 現代科学的エビデンスと作用機序: 慢性蕁麻疹、アトピー性皮膚炎、乾癬(Psoriasis)といった掻痒を伴う炎症性皮膚疾患の治療において、症状の緩和とQOL(生活の質)の向上が報告されている 。その作用機序は多岐にわたる。SP10への刺激は、局所の血流を改善するだけでなく、①中枢神経系に作用して痒みの伝達を抑制し、痒みの閾値を上昇させる効果、②視床下部-下垂体-副腎(HPA)系を介した免疫調節作用(抗炎症性サイトカインの誘導、アレルギー反応に関与する肥満細胞の脱顆粒抑制など)が考えられる 。   
  • 臨床応用と配穴: 血熱、血瘀、血虚に起因する皮膚疾患や婦人科疾患に広く応用できる。皮膚の熱感や発赤、強い痒みを伴う場合は、清熱作用に優れるLI11(曲池)と組み合わせて「血熱」を冷ます。月経不順などで血虚が顕著な場合は、気血を補うST36(足三里)やSP6(三陰交)と組み合わせる。

2.11 SP11 Jīmén (箕門) – Winnowing Gate

  • 取穴部位: 大腿内側、血海(SP10)と衝門(SP12)を結ぶ線上、血海の上6寸、縫工筋と長内転筋の間に取る 。   
  • 古典的基礎: 鼠径部のリンパ節腫脹、排尿困難、遺尿などに用いられる 。   
  • 臨床応用: 鼠径部痛や泌尿器系疾患に対する局所的な治療点として用いる。

2.12 SP12 Chōngmén (衝門) – Rushing Gate

  • 取穴部位: 鼠径部、恥骨結合上縁の高さで、前正中線の外方3.5寸、鼠径溝中の大腿動脈拍動部に取る 。  
  • 古典的基礎: 腹痛、疝気(ヘルニア様の痛み)、妊娠中の異常などに用いられる 。   
  • 臨床応用: 鼠径ヘルニアや下腹部痛に対する局所治療点として用いる。刺鍼の際は大腿動脈を避ける注意が必要。

2.13 SP13 Fǔshè (府舎) – Abode of the Fu

  • 取穴部位: 下腹部、臍中央から下4.3寸、前正中線の外方4寸に取る 。   
  • 古典的基礎: 腹痛、疝気、痞塊(腹部のしこり)などに用いられる 。   
  • 臨床応用: 下腹部痛やヘルニア様症状に用いる。

2.14 Fùjié (腹結) – Abdominal Bind

  • 取穴部位: 下腹部、大横(SP15)の下1.3寸、前正中線の外方4寸に取る 。   
  • 古典的基礎: 腹痛、下痢、便秘、疝気などに用いられる 。   
  • 臨床応用: 消化管の運動異常、特に便秘や下痢を繰り返すような病態に用いる。

2.15 SP15 Dàhéng (大横) – Great Horizontal

  • 取穴部位: 腹部、臍中央の外方4寸に取る 。   
  • 古典的基礎: 大腸と関連が深いとされ、下痢や便秘、腹痛など、腸の運動機能障害に用いられる。
  • 現代科学的エビデンスと作用機序: 術後イレウス(POI)、機能性便秘、IBSなどの治療プロトコルにおいて、腸管運動を促進し、腹部膨満感を軽減する目的で頻繁に用いられる 。その作用機序は、腹壁の体性神経を刺激することで、脊髄レベルでの体性-内臓反射を引き起こし、交感神経の過緊張を緩和し副交感神経(迷走神経)活動を相対的に高めることで、大腸の蠕動運動を促進することによるものと考えられる 。   
  • 臨床応用と配穴: 便秘や腹部膨満感に対する要穴。大腸の募穴であるST25(天枢)と組み合わせて用いることで、相乗効果が期待できる。

2.16 SP16 Fùāi (腹哀) – Abdominal Lament

  • 取穴部位: 上腹部、臍の上3寸、前正中線の外方4寸に取る 。   
  • 古典的基礎: 消化不良、腹痛、便秘、下痢などに用いられる 。   
  • 臨床応用: 消化不良や上腹部痛に用いる。

2.17 SP17 Shídòu (食竇) – Food Cavity

  • 取穴部位: 前胸部、第5肋間、前正中線の外方6寸に取る 。   
  • 古典的基礎: 胸脇部の張りや痛み、しゃっくりなどに用いられる 。   
  • 臨床応用: 肋間神経痛や胸膜炎後の疼痛に用いる。

2.18 SP18 Tiānxī (天谿) – Celestial Ravine

  • 取穴部位: 前胸部、第4肋間、前正中線の外方6寸に取る 。   
  • 古典的基礎: 胸痛、咳、乳汁分泌不全などに用いられる 。   
  • 臨床応用: 肋間神経痛や乳腺炎、乳汁分泌不全に用いる。

2.19 SP19 Xiōngxiāng (胸郷) – Chest Village

  • 取穴部位: 前胸部、第3肋間、前正中線の外方6寸に取る 。   
  • 古典的基礎: 胸痛、咳に用いられる 。   
  • 臨床応用: 肋間神経痛や呼吸器症状に用いる。

2.20 SP20 Zhōuróng (周栄) – All-round Flourishing

  • 取穴部位: 前胸部、第2肋間、前正中線の外方6寸に取る 。   
  • 古典的基礎: 咳、胸脇部の張り、飲食が下らない(つかえ感)などに用いられる 。   
  • 臨床応用: 肋間神経痛や呼吸器、上部消化管の症状に用いる。

2.21 SP21 Dàbāo (大包) – Great Wrapping

  • 取穴部位: 側胸部、腋窩中央線上、第6肋間に取る 。   
  • 古典的基礎 (脾の大絡): SP21 大包は、脾の大絡(だいらく)であり、ここから全身の絡脈(経脈から分岐して全身を網の目のように覆う微細なネットワーク)が分岐するとされる。このため、大包は全身の絡脈を統括する役割を持つ 。その主治は「胸脇痛」といった局所の症状に加え、「全身の関節が皆な弛緩し、四肢を用いること能わざる(全身の痛み、無力感)」といった、気血が全身の末梢にまで行き渡らないことによる症状である。   
  • 現代科学的エビデンスと作用機序: 大包に特化した質の高い研究は少ない。しかし、その古典的な機能は、線維筋痛症(Fibromyalgia)や慢性疲労症候群(CFS)といった、現代医学でも病態解明が困難な全身性の疼痛・倦怠感疾患への応用を示唆する。大包が「全身の絡脈を統括する」という古典理論は、現代医学的には全身の微小循環(マイクロサーキュレーション)や、近年注目される結合組織(ファシア)ネットワークの調節機能を示唆している可能性がある。線維筋痛症などでは、中枢神経系の過敏状態(中枢性感作)と共に、末梢の微小循環不全や結合組織の慢性炎症が関与すると考えられている。大包への刺激は、広範な体性感覚入力を通じて中枢の疼痛制御系を調節すると同時に、肋間神経を介した自律神経反射により、全身の微小血管の血流を改善する可能性がある。これは、西洋医学的な治療法が確立していない全身性の不定愁訴に対する、鍼灸のユニークな治療的アプローチを提供するものである。
  • 臨床応用: 線維筋痛症や原因不明の全身痛、慢性的な疲労感に対して、全身の気血循環を改善する目的で用いる。

第三部 統合的考察と高等臨床戦略

3.1 主要な脾の病理パターンに対する統合的治療プロトコル

個々の経穴の効能を理解した上で、臨床ではそれらを弁証論治に基づいて有機的に組み合わせ、治療効果を最大化する必要がある。以下に、脾の主要な病理パターンに対する統合的な配穴戦略を示す。

表2: 主要な脾の病態に対する統合的治療プロトコル

病理パターン治療原則基本配穴と理論的根拠随証加減(症状に応じた加減)
脾気虚証(Spleen Qi Deficiency)健脾益気 (Fortify the Spleen and Boost Qi)SP3(太白) + ST36(足三里) + BL20(脾兪) + CV12(中脘) SP3(原穴)とBL20(背部兪穴)で脾の根本を補い、ST36(胃経合土穴)とCV12(胃の募穴)で後天の本である脾胃を共に強化する。募兪・原穴配穴の応用。湿邪が多ければSP9(陰陵泉)を加え利湿する。下痢がひどければST25(天枢)を加え腸を整える。
中気下陥証(Middle Qi Sinking)補中益気・昇陽挙陥 (Supplement the Middle, Boost Qi, Raise Yang, and Lift the Sunken)脾気虚証の基本配穴 + GV20(百会) + SP1(隠白)に灸 脾気虚の治療を基本とし、GV20(百会)で清陽の気を強力に上昇させ、SP1(隠白)への施灸で経脈の根元から昇提作用を助ける。脱肛には長強(GV1)を加える。胃下垂には胃の上口・下口にあたるCV13(上脘)・CV10(下脘)を加える。
脾不統血証(Spleen Failing to Control Blood)益気摂血 (Boost Qi and Consolidate Blood)SP1(隠白) + SP10(血海) + SP6(三陰交) + BL20(脾兪) SP1(井穴)の刺絡または灸で急性の出血を止め、SP10(血海)で血を調え、SP6で三陰を補い血の生成を助け、BL20で脾の根本を補い統血機能を回復させる 。   血虚が顕著な場合はBL17(膈兪、血会)を加える。精神的な要因が関与する場合はHT7(神門)を加える。
寒湿困脾証(Cold-Dampness Encumbering the Spleen)化湿運脾・温中散寒 (Transform Dampness, Move Spleen Qi, Warm the Middle, and Dispel Cold)SP9(陰陵泉) + SP6(三陰交) + ST36(足三里) + CV12(中脘) SP9(利湿の要穴)とSP6で脾を健やかにし湿を除き、ST36とCV12で脾胃を温め運化機能を回復させる。温灸の併用が極めて効果的。悪心・嘔吐が強い場合はPC6(内関)を加える。頭重感やめまいがあればGV20(百会)を加える。

3.2 「後天の本」の現代的解釈:脾経とマイクロバイオーム・免疫系の統合モデル

古典医学が「脾」に与えた「後天の本」という称号は、単なる哲学的比喩ではない。近年の科学的進歩は、この概念が、消化器系、免疫系、神経系、そして腸内細菌叢が織りなす、生命維持の根幹をなす複雑なネットワークを驚くほど正確に捉えていたことを示唆している。

脾と腸内細菌叢 (The Spleen and the Gut Microbiota)

古典的な「脾の運化」機能、すなわち飲食物から栄養(水穀の精微)を生成する働きは、現代科学における腸内細菌叢(マイクロバイオーム)の機能と著しく類似している 。腸内細菌は、ヒトの消化酵素だけでは分解できない食物繊維を発酵させ、短鎖脂肪酸(SCFA)などのエネルギー源や、ビタミン類を産生する。近年の研究では、「脾気虚」と診断された患者群において、健常群とは異なる特有の腸内細菌叢プロファイル(例:酪酸産生菌などの善玉菌の減少、日和見菌の増加)が観察されることが繰り返し報告されている 。さらに、脾気虚を治療する代表的な漢方薬である補中益気湯や六君子湯が、腸内細菌叢のバランスを改善し、有益な代謝産物の産生を促進することが示されている 。これは、「脾を補う」という治療が、腸内環境を整えることと直接的に関連していることを示唆する。   

脾と免疫系 (The Spleen and the Immune System)

古典では、脾気虚は「衛気不固(えきふこ)」、すなわち体表を防御するエネルギーの不足を招き、風邪をひきやすい、アレルギーになりやすいといった易感染性につながるとされる。この洞察もまた、現代免疫学によって裏付けられつつある。複数の研究が、「脾気虚」証が、マクロファージの貪食能の低下、リンパ球の増殖能の低下、特定のサイトカイン(例:IFN-γ)の変動など、具体的な免疫機能の低下と相関することを示している 。臨床的にも、アレルギー性鼻炎や慢性下痢といった免疫系の関与が深い疾患において、脾気虚が主要な病理パターンとして同定されており 、脾を補う治療(例:ST36 足三里への刺鍼)が免疫バランスをTh1/Th2バランスの是正などを介して回復させることが示唆されている 。   

脾経治療の統合モデル—神経-免疫-腸内分泌ネットワークへの介入

これらの知見を統合すると、足の太陰脾経への鍼灸治療は、単一の系に作用するのではなく、相互に密接に連携する「神経-免疫-腸内分泌ネットワーク」に介入する、包括的なシステム生物学的治療法であるというモデルが浮かび上がる。

このモデルの作用機序は以下のように考えられる。まず、脾経上の経穴(例:SP6 三陰交、ST36 足三里)への鍼刺激は、皮膚の受容器から末梢神経を介して脊髄と脳(脳幹、視床下部、大脳皮質など)に信号を伝達する。この中枢への信号が、次の三つの主要な経路を同時に調節する。

  1. 神経系(脳腸相関): 自律神経系、特に副交感神経である迷走神経の活動を調節する。これにより、胃腸の蠕動運動、消化液の分泌、腸管の血流が最適化される。また、内臓知覚の過敏性を抑制し、腹痛などを緩和する 。   
  2. 免疫系: 視床下部-下垂体-副腎(HPA)系や自律神経系を介して、全身の免疫細胞(マクロファージ、T細胞など)の機能を調節し、炎症性サイトカインと抗炎症性サイトカインのバランスを是正する 。   
  3. 腸内分泌系(マイクロバイオーム): 上記の神経系・免疫系の調節は、腸内環境(腸管運動、pH、粘液層など)を整える。この環境の変化が、腸内細菌叢の構成(多様性や善玉菌の割合)を健全な状態へと導き、短鎖脂肪酸(SCFA)などの有益な代謝産物の産生を促す 。   

この一連のプロセスが、古典で言うところの「健脾益気(脾を健やかにし気を益す)」の生物学的実体であると考えられる。この統合モデルは、なぜ脾経の治療が消化器症状のみならず、免疫疾患(アレルギー)、婦人科疾患(ホルモンバランス)、精神症状(疲労感、不安)といった一見無関係に見える全身性の問題にまで効果を及ぼすのかを説明する、統一的な作用機序を提供する。

結論

足の太陰脾経の全21経穴について、その取穴、効能、作用機序を、古典医学の文献と現代の科学的研究の両面から網羅的に調査・分析した。その結果、以下の点が明らかとなった。

  1. 古典理論の臨床的妥当性: 『黄帝内経』に始まり、『鍼灸甲乙経』や『鍼灸大成』に至るまで、古典籍に記された脾の生理・病理機能(運化・統血・昇清)、そして各経穴の主治効能は、数千年にわたる臨床経験に裏打ちされた、極めて精緻で実践的な理論体系である。特に「健脾益気」「利湿化痰」「補気摂血」といった治療原則と、それに対応するSP3(太白)、SP9(陰陵泉)、SP1(隠白)などの要穴の使い分けは、現代においても多くの疾患に対して高い臨床効果を発揮する。
  2. 科学的エビデンスによる作用機序の解明: 近年のfMRI、マイクロバイオーム解析、免疫学的手法を用いた研究により、脾経の経穴刺激が、脳腸相関、自律神経系、免疫系、そして腸内細菌叢に具体的な変化をもたらすことが客観的に示された。これは、古典的な「脾」の概念が、単なる消化器官ではなく、消化・吸収・代謝・免疫を統合した高度な生体恒常性維持システムを指し示していたことの科学的裏付けとなる。
  3. 古典と科学のシナジー: 古典理論は「なぜ」「何を」治療するのかという臨床的な羅針盤、すなわち病態の根本原因を特定し、治療方針を立てるための深遠な枠組みを提供する。一方、現代科学はその作用機序、すなわち「どのように」効くのかを神経・免疫・内分泌・腸内細菌ネットワークの言語で解明する。この二つの知の体系は対立するものではなく、互いを補完し、より深く、より確かな臨床実践を可能にする相補的な関係にある。

古典の弁証論治に基づいて病態の根本を把握し、それに基づいて経穴を選択すると同時に、現代科学が明らかにした神経生理学的な作用機序を理解することで、治療効果の予測、手技の最適化、そして患者への説明能力を飛躍的に向上させることができる。足の太陰脾経は、生命活動の根源である「後天の本」を司る。その治療は、単なる症状緩和に留まらず、消化、代謝、免疫という生命の根幹を立て直す、深遠かつ強力な治療法である。この統合的理解こそが、鍼灸治療の可能性を未来へと押し進める原動力となるであろう。