手の太陰肺経の経穴に関する包括的な臨床的・科学的考察

序論

東洋医学における手の太陰肺経の枢要な役割

東洋医学の臓腑・経絡理論において、手の太陰肺経(以下、肺経)は生命活動の根源である「気」を主宰する極めて重要な役割を担う。古典『黄帝内経』において、肺は「相傅の官」と称される。これは、君主である心を補佐し、全身の気血の運行を円滑に調整する宰相としての役割を象徴するものである。肺のこの中心的な機能は、「気を主る(主気)」、「百脈を朝す(肺朝百脈)」という二つの概念に集約される。すなわち、肺は呼吸を通じて自然界の清浄な気(清気)を取り込み、体内で生成された気と融合させ、全身の経脈を通じてこれをくまなく供給する、気の一元的な管理と分配を担う中枢なのである。

さらに、肺経は人体の最外層に位置し、外界と直接的に接する防御システムを統括する。この機能は「皮毛を主る(主皮毛)」という言葉で表され、体表を保護する衛気を散布し、皮膚や毛髪の潤いを保ち、外邪の侵入に対する第一線の防衛線を構築する。このため、肺経の機能失調は、感冒やインフルエンザといった感染症、アレルギー性鼻炎や喘息などの免疫・アレルギー疾患、さらにはアトピー性皮膚炎といった皮膚疾患など、現代人が抱える多くの問題と密接に関連する。

古典の叡智と科学的エビデンスの統合という現代的要請

東洋医学の臨床効果を最大化するためには、『黄帝内経』、『鍼灸甲乙経』、『鍼灸大成』といった古典籍に記された理論体系を基盤としながらも、その作用機序を現代的な言語で説明し、治療効果を客観的に検証することが不可欠である。

近年、ランダム化比較試験(RCT)や、動物実験モデルを用いた分子生物学的研究により、特定の経穴刺激が神経系、免疫系、内分泌系に及ぼす具体的な影響が徐々に明らかになりつつある。例えば、肺経の経穴刺激が、咳反射の感受性に関わるTRPV1(Transient Receptor Potential Vanilloid 1)シグナル伝達経路を調節することが示唆されており、これは古典的な鎮咳作用のメカニズムの一端を解明するものである 。本報告書では、これら最先端の科学的研究成果を、古典医学の理論的枠組みの中に位置づけることで、両者の間に橋を架けることを試みる。この統合的アプローチこそが、臨床における治療効果の向上、患者への説明責任の遂行、そして東洋医学の学術的地位の確立に不可欠であると確信する。

第一部:手の太陰肺経の基礎理論

1.1 経脈の流注(手の太陰肺経の走行)

肺経の流注、すなわち気血が流れる経路を理解することは、その生理機能と病理、そして各経穴の治療作用を把握するための第一歩である。その経路は単なる解剖学的な線ではなく、機能的な関連性を示す地図そのものである。『霊枢』経脈篇などの古典籍の記述を、WHO/WPROの標準経穴部位と統合すると、その流注は以下の通りである 

内経路

肺経の真価は、その広範な内経路にある。経脈は、消化器系の中枢である「中焦」(胃のあたり)に起こる。そこから下行して、表裏関係にある「大腸」を絡い、再び上行して胃の上口部(噴門部)を巡り、横隔膜を貫いて、本経が属する「肺」に到達する 

この内経路は、肺経の機能的マップとして極めて重要である。中焦に起始し大腸を絡うという経路は、呼吸器系と消化器系の間の深遠な生理的・病理的関連性を示している。これにより、肺経の経穴を用いて便秘や下痢といった大腸の疾患を治療する古典的な治療原則の根拠が説明される。また、後天の気の源である脾胃(中焦)から経脈が始まることは、肺の機能が健全な消化吸収能力に依存していることを示唆している。

外経路

肺に到達した経脈は、気管・喉頭に沿って上行し、鎖骨下窩のLU1(中府)から体表に出る。そこから腋窩を通り、上腕の内側前面(手少陰心経と手厥陰心包経の前方)を下行し、肘窩のLU5(尺沢)に至る。さらに前腕の前面橈側を下り、手首の橈骨動脈拍動部であるLU9(太淵)を通過し、母指球(魚際)を経て、母指の橈側爪甲根部にあるLU11(少商)に終わる。

支脈

主要な支脈は、手関節の上方1.5寸にあるLU7(列缺)から分かれ、示指の橈側端に至り、そこで手の陽明大腸経に接続する 。この接続は、肺(陰)と大腸(陽)の表裏関係を物理的に結びつけ、両経の機能を協調させるための重要な連絡路である 

この流注経路全体を俯瞰すると、経絡が単なる解剖学的構造ではなく、機能的な相関関係の地図であることが理解できる。「経脈の通じる所は、主治の及ぶ所」という原則の通り、腕の経穴が喉の痛みや咳を治療できるのは、経脈が喉から腕へと走行しているからに他ならない 。臨床家は、経穴を単なる点としてではなく、この内外に広がる広大なネットワーク上の一つの結節点として捉える必要がある。

1.2 肺の生理と病理

肺経の臨床的意義を理解するためには、中医学における「肺」の生理機能と、それが失調した際の病理を深く把握する必要がある。

気を主り、呼吸を主る

これは肺の最も根本的な機能であり、自然界の清気を取り込み、体内の濁気を排出する呼吸活動を指す 。この過程を通じて、飲食物から脾胃が作り出す水穀の精微と結合し、「宗気」を生成する。胸中に集まる宗気は、心臓の拍動を助け、全身への気血の循環を推動し、発声や呼吸の強さを維持する根源となる 。

  • 相傅の官と治節を主る: 「相傅の官」として、肺は君主である心を補佐する 。具体的には、リズミカルな呼吸(治節)を維持することで、心臓の拍動リズムを整え、全身の気血循環の秩序を保つ 。
  • 百脈を朝す: 全身の血脈は、肺に朝(あつ)まり、呼吸によって得られた清気を血液に注入されることで、生命力に満ちた気血となって再び全身へと巡っていく 。肺は、気と血が出会う交通の要衝なのである。

宣発と粛降を主る

肺は、気の昇降出入を調節する二つの対照的な機能を持つ。

  • 宣発(せんぱつ): 気や津液(体液)、そして防御を担う衛気を、発散・散布するように全身、特に体表の皮毛へと送り届ける機能 。この働きにより、体表は温められ、皮膚は潤い、外邪の侵入を防ぐバリアが形成される。宣発が失調すると、衛気が体表に届かず、悪寒や無汗、鼻づまりなどの症状が現れる。
  • 粛降(しゅくこう): 気や津液を上から下へと清め降ろす機能 。これにより呼吸道は清潔に保たれ、吸気は深く腎にまで到達し、津液は下方の腎や膀胱へと送られ、水液代謝を助ける。粛降が失調すると、気が上逆して咳や喘息が生じ、津液が停滞して痰や浮腫の原因となる。

水道を通調す

肺は宣発と粛降の機能を通じて、全身の水液代謝を調節する重要な役割を担う。「水の上源」とも称され、津液を霧のように全身に散布(宣発)し、余剰な水分を腎・膀胱へと下降(粛降)させることで、体内の水分バランスを維持している 。この機能が失調すると、発汗の異常(自汗、盗汗)や浮腫、尿量の異常などが生じる 

皮毛に合し、鼻に開竅す

  • 肺の機能状態は、その外部組織である皮毛(皮膚と体毛)に現れる。肺気が充足し、宣発機能が正常であれば、皮膚は潤いと光沢を持ち、外邪に対する抵抗力も強い 。
  • は肺の竅(きょう、外部への窓口)であり、呼吸の通路であると同時に嗅覚を司る。したがって、鼻づまり、鼻水、嗅覚異常などは、多くの場合、肺の機能失調と関連づけて考えられる 。

これらの生理機能全体を統合すると、肺は単なる呼吸器ではなく、外界と内界の接点に立ち、生体の「境界」を管理するマスターシステムとして理解できる。清気と濁気の交換(代謝的境界)、衛気による防御(免疫的境界)、発汗による体温と水分の調節(物理的境界)、そして鼻を介した情報の取り込み(感覚的境界)のすべてを統括している。したがって、風邪、アレルギー、皮膚疾患など、外界との相互作用の不調に起因するあらゆる病態は、この肺システムの観点から診断・治療することが可能となる。

1.3 臨床診断における主要な病理パターン(肺の弁証論治)

臨床において肺経の経穴を効果的に用いるためには、その背景にある病理パターンを正確に弁別する必要がある。主要なパターンは以下の通りである。

肺気虚(はいききょ)

  • 病理: 慢性疾患や過労、脾胃の虚弱などにより、肺の生理機能全般が低下した虚弱状態 。
  • 症状: 息切れ、無力な咳、声に力がない、日中の自然な発汗(自汗)、風邪を引きやすい、倦怠感などが特徴。これは宗気の生成が不足し、呼吸機能が低下するとともに、衛気を体表に固摂する力が弱まるために生じる 。
  • 治則: 補益肺気(ほえきはいき)。肺気を補い、その機能を高める。

風寒束肺(ふうかんそくはい)

  • 病理: 風寒の邪が体表から侵入し、肺の宣発・粛降機能を束縛・阻害した急性の実証 。
  • 症状: 悪寒が強く発熱は軽い、汗が出ない、頭痛、身体痛、透明で薄い痰を伴う咳、鼻水、鼻づまりが特徴 。風寒の邪が体表の衛気を阻滞し、腠理(そうり、汗腺)を閉ざすために悪寒と無汗が生じる 。
  • 治則: 疏風散寒・宣肺解表(そふうさんかん・せんぱいげひょう)。風寒の邪を発散させ、肺の宣発機能を取り戻す。

痰熱鬱肺(たんねつうつはい)

  • 病理: 外感の邪が治りきらずに内陥して熱化したり、内生の湿が熱と結びついたりして、粘稠な痰熱が生成され、それが肺に鬱滞して気道を塞ぐ実証 。
  • 症状: 激しい咳、粘稠で黄色や緑色の喀出しにくい痰、呼吸困難、胸部の閉塞感、発熱、口渇などが特徴 。風寒や風熱よりも病位が深く、内熱が津液を灼いて痰を生み出した状態である。
  • 治則: 清熱化痰・宣肺平喘(せいねつかたん・せんぱいへいぜん)。肺の熱を冷まし、痰を取り除き、肺気の通りを良くして喘息を鎮める 。

第二部:手の太陰肺経の経穴に関する包括的分析

肺経に属する11の経穴は、それぞれが独自の特性と治療効果を持つ。以下の表は、臨床における迅速な参照を目的として、各経穴の要点をまとめたものである。続く各論では、一つ一つの経穴について、古典的根拠から最新の科学的知見までを詳述する。

表1: 手の太陰肺経の経穴(LU1-LU11)概要

WHOコード経穴名 (Pinyin / 日本語)要穴分類WHO標準取穴部位 (要約)古典的要約 (主治)現代的研究に基づく主な応用
LU1Zhōngfǔ / 中府肺の募穴前胸部、第1肋間と同じ高さ、前正中線の外方6寸咳嗽、喘息、胸痛、胸満COPD、喘息、肩痛、呼吸器疾患全般
LU2Yúnmén / 雲門前胸部、鎖骨下窩の陥凹部、烏口突起の内方咳嗽、胸痛、肩痛、挙上不能肩関節周囲炎、胸郭出口症候群、咳
LU3Tiānfǔ / 天府上腕内側面、腋窩横紋前端の下方3寸鼻血、咳嗽、喘息、上腕内側痛鼻出血、気管支炎、上腕神経痛
LU4Xiábái / 俠白上腕内側面、天府の下方1寸咳嗽、息切れ、胸満、心痛咳、動悸、上腕部の痛み
LU5Chǐzé / 尺沢合水穴肘窩横紋上、上腕二頭筋腱の橈側肺熱による咳嗽、喀血、咽喉腫痛、肘痛急性気管支炎、肺炎、喘息、テニス肘
LU6Kǒngzuì / 孔最郄穴前腕掌側、尺沢と太淵を結ぶ線上、手関節の上方7寸急性の咳嗽・喘息、喀血、咽喉腫痛、痔疾急性喘息発作、鼻出血、痔の痛み
LU7Lièquē / 列缺絡穴、四総穴橈骨茎状突起の上方、手関節横紋の上方1.5寸外感による頭痛・項強、咳嗽、顔面麻痺頭痛、頸部痛、感冒、アレルギー性鼻炎
LU8Jīngqú / 経渠経金穴橈骨茎状突起の内側、太淵の上方1寸、橈骨動脈拍動部咳嗽、喘息、発熱、胸痛、手首痛咳、喘息、手根管症候群
LU9Tàiyuān / 太淵兪土穴、原穴、脈会手関節掌側横紋の橈側、橈骨動脈拍動部慢性の咳嗽、息切れ、無脈症、手首痛COPD、慢性気管支炎、不整脈、腱鞘炎
LU10Yújì / 魚際滎火穴第1中手骨中点、赤白肉際咽喉腫痛、失声、発熱、咳嗽急性咽頭炎、扁桃炎、喘息
LU11Shàoshāng / 少商井木穴母指橈側、爪甲根部角の近位0.1寸咽喉腫痛、高熱、失神、中風昏睡急性扁桃炎、高熱、意識障害(救急)

2.1 LU1 Zhōngfǔ (中府) – Central Treasury

  • 取穴部位: 前胸部、第1肋間と同じ高さで、前正中線の外方6寸。LU2(雲門)の直下1寸に取る 。
  • 古典的基礎 (肺の募穴): LU1 中府は、肺の気が胸腹部に集まる募穴であり、肺臓そのものの病変を診断・治療する上で最も重要な経穴の一つである 。その名称「中府」は、中焦(脾胃)の気が集まり、貯蔵される「府(やしき)」を意味し、後天の気が肺気へと転化する場所であることを示唆している 。『鍼灸甲乙経』をはじめとする古典では、一貫して咳嗽、喘息、胸部膨満感、痛みなど、肺臓に直接関わる全ての症状に用いられる 。
  • 現代科学的エビデンスと作用機序: 喘息やCOPD(慢性閉塞性肺疾患)などの呼吸器疾患に対する鍼灸治療プロトコルにおいて、中心的な経穴として採用されている。
    Kang, L., Liu, P., Peng, A., Sun, B., He, Y., Huang, Z., Wang, M., Hu, Y., & He, B. (2021). Application of traditional Chinese therapy in sports medicine. Sports medicine and health science3(1), 11–20. https://doi.org/10.1016/j.smhs.2021.02.006
    中府への刺激は、肋間神経を介して脊髄に信号を送り、体性-自律神経反射を通じて気管支平滑筋の緊張を緩和し、迷走神経の過剰な興奮を抑制することで鎮咳・平喘作用を発揮すると考えられる。また、坐骨神経痛の治療に用いられるという報告もあり、これは筋膜の連続性やより複雑な神経反射を介した遠隔作用の可能性を示唆している。
  • 臨床応用と配穴: 肺臓の虚実を問わず、あらゆる肺疾患治療の要穴。慢性の呼吸器疾患に対しては、背部の兪穴であるBL13(肺兪)と組み合わせる「募兪配穴」が頻用され、臓腑を前後から挟み撃ちにして治療効果を高める。急性の咳や喘息には、肺気を下降させるLU5(尺沢)を配穴する。

2.2 LU2 Yúnmén (雲門) – Cloud Gate

  • 取穴部位: 前胸部、鎖骨下窩の陥凹部で、烏口突起の内方に取る 。
  • 古典的基礎: 「雲門」という名称は、体内に深く蔵されている肺気が、雲のように湧き出てくる「門」であることに由来する 。上胸部の気血の鬱滞を開き、通じさせる作用を持つ。古典的には、咳嗽、喘息、胸痛のほか、経絡の走行上にある肩の痛み、特に腕を挙げられない症状に用いられる 。
  • 現代科学的エビデンスと作用機序: 呼吸器症状に対してLU1と併用されることが多い 。腕神経叢や腋窩動脈に近接しているため、この部位への刺激は強力な神経血管系への作用をもたらす。これにより、局所の血流を改善し、神経の絞扼を緩和することから、五十肩や胸郭出口症候群といった局所性の運動器疾患に有効である 。
  • 臨床応用と配穴: 主に局所治療点として、肩の痛み、胸苦しさ、咳に用いる。肩関節の疾患には、手の陽明大腸経のLI15(肩髃)と組み合わせて、肩関節周囲の気血を巡らせる。

2.3 LU3 Tiānfǔ (天府) – Celestial Palace

2.4 LU4 Xiábái (俠白) – Guarding White

  • 取穴部位: 上腕内側面、LU3(天府)の下方1寸に取る。
  • 古典的基礎: 「俠白」の「俠」は挟む、「白」は五行における肺の色(金=白)を指し、上腕二頭筋と烏口腕筋が肺経を「挟み」、その機能を「守護する」という意味を持つ 。LU3(天府)を補助し、胸中の気を整え、肺熱を清する。主治は咳嗽、息切れ、胸満など 。
  • 現代科学的エビデンスと作用機序: 特異的な研究は限られている。その作用機序はLU3と類似し、局所の神経血管構造に作用して痛みを緩和し、体性-内臓反射を介して呼吸機能に影響を与える可能性がある。
  • 臨床応用と配穴: 咳、胸部膨満感、上腕内側の痛みに用いられる。多くの場合、LU3と同時に取穴される。

2.5 LU5 Chǐzé (尺沢) – Cubit Marsh

  • 取穴部位: 肘窩横紋上、上腕二頭筋腱の橈側に取る 。
  • 古典的基礎 (合水穴): LU5 尺沢は、肺経の合穴であり、五行では「水」に属する。「合は逆気して泄するを主る」という原則の通り、上逆した肺気を下降させる強力な作用を持つ 。また、金(肺)が水(尺沢)を生む関係から、肺の熱を水で鎮火するイメージで、肺熱を清する要穴とされる。その名称「尺沢」は、前腕(尺)にあり、経気が沢のように深く集まる場所を意味する 。痰熱鬱肺に代表される急性の実熱証、高熱、喀血、黄色い粘稠な痰を伴う激しい咳に第一選択される 。
  • 現代科学的エビデンスと作用機序: 質の高いレビューは少ないが、鎮咳・平喘作用は臨床的に広く認められている。その作用機序は、橈骨神経や筋皮神経への強い刺激が、気管支の痙攣を反射的に抑制し、肺の炎症反応を調節することによると考えられる。
  • 臨床応用と配穴: 肺の実熱を清するための最重要穴。急性気管支炎、肺炎、湿性喘息、咽喉腫痛に用いる。重度の熱証には刺絡(少量の瀉血)を行うこともある。手の陽明大腸経の合穴であるLI11(曲池)と組み合わせることで、上焦全体の熱を強力に清する。

2.6 LU6 Kǒngzuì (孔最) – Collection Hole

  • 取穴部位: 前腕掌側、LU5(尺沢)とLU9(太淵)を結ぶ線上、手関節横紋の上方7寸に取る。
  • 古典的基礎 (郄穴): LU6 孔最は、肺経の郄穴である。郄穴は、経脈の気血が深く集まる部位とされ、その経絡の急性痛や出血性疾患に特効があるとされる 。したがって孔最は、急性の喘息発作、激しい咳、そして特に喀血や鼻血といった肺経関連の出血を止める要穴である 。名称の「孔最」も、経気が最も集まる「孔(あな)」を意味する 。また、肺と大腸の表裏関係から、痔の痛みや出血にも用いられる 。
  • 現代科学的エビデンスと作用機序: LU6への刺激が局所の皮膚インピーダンスに再現性のある変化を引き起こすことが示されており、特異的な生体電気的効果を持つことが示唆される 。急性の呼吸器症状に対する強力な効果は、Aδ線維やC線維の強い活性化を介して、分節レベルおよび中枢レベルで強力な鎮痛・鎮痙効果を引き起こすためと考えられる。
    Litscher, G., & Wang, L. (2010). Biomedical engineering meets acupuncture–development of a miniaturized 48-channel skin impedance measurement system for needle and laser acupuncture. Biomedical engineering online9, 78. https://doi.org/10.1186/1475-925X-9-78
  • 臨床応用と配穴: 肺経の急性症状、特に疼痛と出血に対する第一選択穴。急性の喘息発作、激しい咳、喀血に用いる。痔の痛みに対しては、BL57(承山)と組み合わせて遠隔治療点として用いる。

2.7 LU7 Lièquē (列缺) – Broken Sequence

  • 取穴部位: 橈骨茎状突起の上方、手関節横紋の上方1.5寸に取る 。
  • 古典的基礎 (絡穴, 四総穴): LU7 列缺は、肺経の絡穴であり、ここから表裏関係にある手の陽明大腸経へと連絡する 。また、「四総穴」の一つとして「頭項、列缺に尋ぬ」とされ、後頭部と後頸部の疾患に対する遠隔治療の要穴である。名称の「列缺」は、経脈がここで「列(裂)けて」大腸経へと向かう「缺(缺口)」であることを意味する。外邪(風寒・風熱)を体表から追い出す(解表)作用に優れ、感冒の初期症状、外感による頭痛、項強、顔面神経麻痺に不可欠な経穴である 。
  • 現代科学的エビデンスと作用機序: 頭痛や頸部痛への有効性が示されている。小児のアレルギー性鼻炎に対する治療プロトコルにも頻用される。頭頸部への作用機序は、橈骨神経浅枝への刺激が三叉神経脊髄路核に影響を及ぼすためと考えられる。鼻炎に対する効果は、自律神経系を介した免疫調節作用が関与している。ただし、質の高いシステマティックレビューはまだ不足している。
    林昭庚. (2021). 針灸臨床十二總穴 [PDF]. (私家出版). 抄於
    中华中医药学会鼻病分会. (2023). 儿童鼻鼽中医诊疗指南(2023年修订版) [PDF]. 南京中医药大学学报, 39(3), 280–288. https://xb.njucm.edu.cn/cn/article/pdf/preview/10.14148/j.issn.1672-0482.2023.0285.pdf
  • 臨床応用と配穴: あらゆる外感病の治療における重要穴。手の陽明大腸経のLI4(合谷)と組み合わせることで、解表、鎮痛作用を増強する。後頭部痛、寝違え、ベル麻痺、三叉神経痛、アレルギー性鼻炎に用いる。

2.8 LU8 Jīngqú (経渠) – Channel Gutter

  • 取穴部位: 橈骨茎状突起の内側、橈骨動脈拍動部で、LU9(太淵)の上方1寸に取る 。
  • 古典的基礎 (経金穴): LU8 経渠は、肺経の経穴であり、五行では「金」に属する。経穴は「喘咳寒熱を主る」とされ、また金穴であることから肺自身の性質を強める 。「経渠」は、経気の流れる深い「溝(渠)」を意味する 。主に肺気を巡らせる作用を持ち、咳嗽、発熱、胸痛などを治療する 。橈骨動脈の直上に位置するため、強力な作用を持つとされる。
  • 現代科学的エビデンスと作用機序: 特異的な研究は限られている。その作用は、橈骨動脈周囲の神経叢および橈骨神経への強い刺激が、自律神経系に全身的な影響を及ぼすことによると考えられる。
  • 臨床応用と配穴: 肺の粛降機能を促進し、咳嗽や喘息を治療するために用いられる。前腕遠位部の他の経穴に比べて使用頻度は低い。

2.9 LU9 Tàiyuān (太淵) – Great Abyss

  • 取穴部位: 手関節掌側横紋の橈側、橈骨動脈の拍動部に取る 。   
  • 古典的基礎 (兪土穴, 原穴, 脈会): LU9 太淵は、三つの極めて重要な特性を併せ持つ。
    原穴: 肺臓の原気が最も集まる場所であり、肺の虚証を補うための第一選択穴である 。
    ②   兪土穴: 五行の「土」に属し、「土生金」(土は金を生む)の相生関係に基づき、母である脾(土)が子である肺(金)を養うように、肺気を補強する。
    脈会: 八会穴の一つ「脈会」であり、全身の血脈の病理に影響を与える 。このため、脈診を行う最も重要な部位でもある。名称の「太淵」は、気血が「大」きく集まる「淵」であることを示す 。   
  • 現代科学的エビデンスと作用機序: COPDの鍼灸治療プロトコルにおける重要穴である。橈骨動脈および神経の直上に位置するため、その刺激は自律神経系に強く影響し、心拍数、血管緊張、呼吸リズムを調節しうる。他の経絡でのfMRI研究から類推すると、島皮質、大脳辺縁系、脳幹といった自律神経・情動中枢の活動を調節する可能性が高い 。 
    Zhang, H.-Y., Shi, Y.-Q., Chen, Z.-Z., & Liu, Y. (2023). Functional magnetic resonance imaging–based visualization decoding of traditional Chinese medicine promoting brain function remodeling after stroke. Chinese Journal of Tissue Engineering Research, 27(23), 3747–3754. https://doi.org/10.12307/2023.536
  • 臨床応用と配穴: 肺気虚・肺陰虚を補うための最重要穴。慢性の咳、呼吸困難、慢性喘息に不可欠。後天の気を補うためにST36(足三里)と組み合わせる。「脈会」として、無脈症や弱い脈状など、一部の循環器系疾患にも応用される。

2.10 LU10 Yújì (魚際) – Fish Border

  • 取穴部位: 第1中手骨中点の橈側、手掌と手背の皮膚の境目(赤白肉際)に取る 。   
  • 古典的基礎 (滎火穴): LU10 魚際は、肺経の滎穴であり、五行では「火」に属する。「滎は身熱を主る」の原則通り、魚際は肺経の熱を清する作用に優れる 。名称「魚際」は、母指球の膨らみが魚の腹に似ていることから、その「際(きわ)」に位置することに由来する 。特に、咽喉部の熱、すなわち急性の咽頭痛、扁桃炎、失声に著効を示す 。   
  • 現代科学的エビデンスと作用機序: 動物実験において、魚際への刺激が肺組織内のサイクリックAMP(cAMP)濃度を上昇させることが示されている 。cAMPは気管支拡張作用を持つため、これは魚際の喘息に対する治療効果の生化学的メカニズムの一つを説明するものである。   
  • 臨床応用と配穴: 急性の咽喉痛に対する遠隔治療の第一選択穴。LI4(合谷)と組み合わせて用いられることが多い。肺熱による咳や失声にも有効。

2.11 LU11 Shàoshāng (少商) – Lesser Metal

  • 取穴部位: 母指の橈側、爪甲根部角の近位約0.1寸に取る 。   
  • 古典的基礎 (井木穴): LU11 少商は、経気の湧き出る井穴である。井穴は急性の病態を治療し、熱を清し、意識を回復させる(開竅醒神)作用を持つ 。「少商」の「商」は五音における金(肺)の音であり、「少」は末端を意味し、金経の最終点であることを示す 。古典的には、極度の咽喉腫痛、高熱、脳卒中や失神による意識障害に用いられる。その効果を発揮させるために、ほとんどの場合、刺絡(三稜鍼で刺して数滴の血を出す)が行われる 。   
  • 現代科学的エビデンスと作用機序: 質の高いエビデンスは限られている 。その強力な作用は、指先に密集する侵害受容器への強い刺激によるものである。刺絡による強烈な求心性信号が脳幹に達し、意識を覚醒させるとともに、三叉神経核を介した強力な拮抗刺激によって咽喉の痛みを鎮めると考えられる。   
  • 臨床応用と配穴: 激しい咽喉の熱(例:急性扁桃炎)を清するための最も強力な経穴。刺絡して用いる。また、「十二井穴」の一つとして、救急時の蘇生法にも応用される。

肺経の経穴群を俯瞰すると、近位部から遠位部にかけて明確な機能的勾配が存在することがわかる。胸部・上腕部の経穴(LU1, LU2)は、募穴や局所穴として、肺臓そのものや肩・胸といった局所構造を直接治療する「司令部」としての役割を担う。肘・前腕部の経穴(LU5, LU6)は、合穴や郄穴として、急性的で過剰な病態や気の逆流を処理する「緊急対応センター」として機能し、強力に気を鎮め、下降させる。そして、手首・手指の経穴(LU7, LU9, LU10, LU11)は、絡穴、原穴、滎穴、井穴として、より全身的かつ経絡全体の調節機能を持ち、経絡の遠端にある疾患(頭痛や咽喉痛)を治療したり、系統全体の虚実を調整したりする「ネットワークハブ」および「微調整装置」としての役割を果たす。この機能的勾配は、臨床における戦略的な選穴の枠組みを提供する。慢性の肺虚証には臓腑を直接補う近位部(LU1)と根源を補う遠位部(LU9)を、急性の喘息発作には気の逆上を鎮める肘部(LU5, LU6)を、感冒による頭痛や咽喉痛には外邪を排し遠隔部の熱を清する末端部(LU7, LU11)を優先するという、洗練された多層的な治療体系がここに見られる。


第三部:統合的考察と高等臨床戦略

3.1 主要な肺の病理パターンに対する統合的治療プロトコル

個々の経穴の効能を理解した上で、臨床ではそれらを弁証論治に基づいて有機的に組み合わせ、治療効果を最大化する必要がある。以下に、肺の主要な病理パターンに対する統合的な配穴戦略を示す。

肺気虚の治療(補益肺気法)

  • 治則: 補益肺気(肺気を補い、その機能を増強する)。
  • 基本配穴: LU9(太淵) + BL13(肺兪)。これは、遠隔の原穴と背部の兪穴を組み合わせる古典的な「原兪配穴」であり、肺臓を前後から直接的に補強する。これに、後天の気の源を補うST36(足三里)と、先天の気が集まるCV6(気海)を加えることで、身体全体の気を増強し、肺の機能を根本から支える。

風寒束肺の治療(宣肺散寒法)

  • 治則: 宣肺散寒(肺の宣発機能を回復させ、寒邪を発散させる)。
  • 基本配穴: LU7(列缺) + LI4(合谷)。これは体表の邪を追い出す(解表)ための代表的な組み合わせである。LU7は頭頸部の主治穴であり、LI4は顔面部の主治穴かつ強力な行気作用を持つ。この二穴で上焦の邪を強力に発散させる。これに、「風の門」であるBL12(風門)と「風の池」であるGB20(風池)を加えることで、上半身の風邪を駆逐する効果を高める。

痰熱鬱肺の治療(清熱化痰法)

  • 治則: 清熱化痰(熱を冷まし、痰を取り除く)。
  • 基本配穴: LU5(尺沢) + ST40(豊隆)。LU5は肺熱を清することに優れた合水穴であり、ST40は身体のいかなる部位の痰をも解消する経験的特効穴である。この組み合わせは、症状(熱)と病理産物(痰)の両方に対処する。咽喉痛を伴う場合はLU10(魚際)を加える。熱が極めて強い場合は、LU11(少商)を刺絡して瀉熱する。

3.2 肺経の神経-免疫-呼吸器軸:現代的統合モデル

古典医学が記述した肺経の機能は、現代科学の知見と照らし合わせることで、その神経生理学的な基盤が明らかになりつつある。これは、古典の叡智を否定するものではなく、むしろその正しさを異なる言語で再確認し、より深い理解へと導くものである。

古典的な「衛気」と現代免疫学

古典理論における、肺の宣発機能によって制御され体表を循環する「衛気」は、現代免疫学における皮膚関連リンパ系組織(SALT)や粘膜関連リンパ系組織(MALT)といった局所免疫システムの機能的アナロジーと見なすことができる。肺経の経穴への刺激は、これらの局所免疫環境を調節し、生体防御反応に影響を与える可能性がある。   

神経-呼吸器調節

肺経が咳や喘息の治療に有効であること は、体性-自律神経反射弓によって説明できる。経絡に沿った求心性神経(橈骨神経や筋皮神経など)への刺激は、脊髄および脳幹に信号を送り、遠心性神経である迷走神経を介して気管支への信号を調節し、気管支拡張や気道過敏性の抑制をもたらす。   
Wang, G.-X., Zhou, J., Chen, Y.-M., Xu, L.-D., Tao, S.-M., Ma, J., Sun, Y.-H., Wu, M.-S., Chen, Z.-W., Zhu, Y.-F., & Xie, M.-R. (2023). Mechanism of electroacupuncture at acupoints of the lung meridian through PKA/PKC regulation of TRPV1 in chronic cough after lung surgery in guinea pigs. Journal of Thoracic Disease, 15(4), 1848–1860. https://doi.org/10.21037/jtd-23-409

抗炎症メカニズム

術後の慢性的な咳に関する動物実験では、肺経の経穴への電気鍼刺激が炎症性サイトカインを減少させ、咳反射の過敏性に関与するTRPV1シグナル伝達経路を調節することが示されている 。これは、LU5(尺沢)やLU10(魚際)などが持つ「清熱」や「降気」といった作用の、具体的な分子レベルでのメカニズムを提供するものである。   

統合モデル

手の太陰肺経は、神経系(経穴からの感覚入力)、免疫系(炎症性メディエーターと衛気の調節)、そして呼吸器系(気道の制御)を統合する機能的な軸として概念化することができる。この経絡上の点を治療することは、単なる局所的な行為ではなく、このネットワーク全体に調節信号を送り込む介入なのである。


結論

本報告書は、手の太陰肺経に属する全11経穴について、その取穴、効能、作用機序を、『鍼灸甲乙経』や『鍼灸大成』といった foundational な古典籍 と、現代の科学的研究 の両面から網羅的に調査・分析した。   

その結果、以下の点が明らかとなった。

  1. 古典理論の臨床的妥当性: 気と呼吸、体表、水道を主るという古典的な肺の機能理論は、数千年にわたる臨床経験に裏打ちされた、極めて精緻で実践的な理論体系である。特に、「補益肺気」「宣肺散寒」「清熱化痰」といった治療原則と、それに対応するLU9(太淵)、LU7(列缺)、LU5(尺沢)などの要穴の使い分けは、現代においても多くの疾患に対して高い臨床効果を発揮する。
  2. 科学的エビデンスによる作用機序の解明: 近年の研究により、肺経の経穴刺激が、自律神経系、免疫系、そしてTRPV1のような特定の分子経路に具体的な変化をもたらすことが客観的に示された。これは、古典的な「清熱」や「降気」といった概念の神経生理学的・分子生物学的な裏付けを提供するものである。
  3. 古典と科学のシナジー: 古典理論は「何を」「なぜ」治療するのかという臨床的な羅針盤を提供する一方、現代科学はその作用機序、すなわち「どのように」効くのかを解明する。両者は対立するものではなく、互いを補完し、より深く、より確かな臨床実践を可能にする相補的な関係にある。

臨床家は、古典の弁証論治に基づいて病態の根本を把握し、経穴を選択すると同時に、現代科学が明らかにした神経生理学的・免疫学的な作用機序を理解することで、治療効果の予測、手技の最適化、そして患者への説明能力を飛躍的に向上させることができる。手の太陰肺経は、身体と外界との境界を司るシステムとして、急性の呼吸器感染症から慢性の免疫・アレルギー疾患に至るまで、現代社会が抱える多くの健康問題に対応する上で、計り知れないポテンシャルを秘めている。その可能性を最大限に引き出すためには、古典の叡智に敬意を払いながら、科学的な探求を怠らないという統合的な姿勢が、今後の東洋医学に携わるすべての者にとって不可欠である。